
Jun Sakaguchi


近藤とは10代の頃から同じバンドで活動していたので(ドラムを担当)、ずっと一緒にいた音楽仲間でした。実はこれが一番大きな理由で、現在に至るまでのエピソードとなっています。


わたしも近藤との共通点として、音楽以外にやりたいことがありませんでした。大学の学生課に勧められるままに就職試験を受け、安全衛生用品を扱う商社に内定をいただいたことで、そのまま営業職として入社。

仕事内容は、安全衛生用品(工場内の備品となる手袋やヘルメット、マスク、安全靴、保護メガネ、耳栓など)を卸す業務。会社にいる時間はほとんどなく、出向に近いレベルで大手自動車部品メーカーの工場で一緒に働いていました。そこで働くメーカーの人たちの「あれが欲しい、これ持ってきて」など、困った時の雑用係といった方がしっくりくる業務。いわゆるメーカー社員のサポート役。特に熱量があって働いていたわけでもないのですが、ただ、忙しかった。それこそ朝から晩まで。そのあとの事務作業をするために、休日出勤も多々あった。それが当たり前の生活でしたし、なんの疑問をもつこともなく約4年間、続けました。


その頃、なぜかIT業界に憧れを抱き、システム会社に転職することに。そこでは主にCADのオペレーション業務(CADによって設計された図面をもとに、現物にするための業務)をやることに。
しかし、このタイミングでとんでもない出来事が起きました。リーマンショックです。転職してすぐに仕事がほぼゼロになってしまったんです。その影響で、正社員から派遣契約に切り替わる。周りもどんどんリストラされていき、ニュースで流れていたあの光景というか、現場を目の当たりにした一人となる。

派遣先は名古屋の会社となり、毎日、満員電車に揺られる生活に突然変わる。ここでIT企業の厳しさとドライな感じに触れることとなりました。業務内容がメールで届くものの、会話がまったくないとか。聞きたいことも聞けない雰囲気がそこにあり、毎日、息が詰まる現場。このままいては頭がおかしくなると思い、IT業界に憧れを抱いて転職したはずが、約3年ほど働いた後、やめることなりました。まさか、こういう展開を迎えるとは思ってもいませんでした。


IT企業のずっと息が詰まる仕事の反動で、そこから約1年間ほど無職生活に。いわゆる、ギャンブル人生。パチンコ生活。その日暮らし。時にはパチンコで稼いだお金で、日本を飛び出し物価の安いタイでプラプラするような有様でした。

30歳。無職。無保険。我ながらすでに終わっている状況と、客観視できるほどの状態でした。リーマンショック以降、完全に歯車が狂ってしまったかのような人生を歩んでいました。


さすがにこの生活を1年も続けているのは、ちょっと違和感が生まれて、地元の商社に就職しました。
主にルート配送の仕事です。これが実は一番長く続いた仕事でした。約11年間勤務。安定はしていたものの、特に刺激もなく淡々と業務をこなす日々。なにも波風がたたないように安全に仕事をする。ただ、こなす。これを繰り返した11年間でした。安心して続けれられるという点では、もうこれほどいい仕事はなかったかもしれません。

では、なにが不満だったかのか。これでいいじゃないかという話なんですが、まったくドラマのない日々の連続で、なんだか自分の可能性を閉ざしてしまった感がありました。この頃には「何かしたい」という意欲もなくなってしまったんです。小さくまとまってしまったというか。とにかく楽だったので、続いただけ。給料が安くてもOKだったし、問題も起きない。人によってはそれが成功と捉える場合もあるくらい、すごく安定していました。そして、この状況に対して否定的という姿勢でもありませんでした。
それなのにジワジワと、ある日、なにかに熱くなれるものが欲しいという気持ちが芽生えてきました。ゆっくりですが、いつしかエネルギーがたまっていたんだと思います。


もともと近藤とは仕事と関係なく、ずっとバンド活動の仲間として時々会っていました。そんなある日、他愛もない会話から近藤に本を借りたのがきっかけになる。なにかしたいと思い始めた。エネルギーを注ぐ先を模索していたのだと思います。1冊、2冊と本を借りることを繰り返していくうちに、もっと知りたいと思うようになってきました。
いつしか近藤の鞄持ちをしながら、土日にお手伝いをするようになる。この経験を機会に、いったんは近藤と仕事することも考えました。しかし、この頃はまだ時期が早かったようです。これまで11年間、変化のない生活が長かったため変わりたくない自分の方が強く、なかなか新しい仕事へという気持ちにはなれませんでした。転職するほどのエネルギーが、この時はまだありませんでした。ただ、せっかくのチャンスを無駄にしたのではないか。何かしたいと思っている自分がいる一方で、変わろうとしない自分がいる。この自己矛盾は一体なんだ!?と。なんとも言えない悔しさがこみ上げてくる。
これがきっかけで《宅建》の勉強をはじめる。仕事しながら勉強する日々となり、約1年後、資格を取得する。続いて《2級ファイナンシャル・プランニング技能士》の資格も取得。このあたりから、自分の決意が芽生える。そして、ターニングポイントへ。


ついにチャレンジしたいという気持ちが爆発。近藤のもとへ走る。二度目の正直。もし、もう一度チャンスをいただけるなら、今度こそ挑戦したい。正直な気持ちで相談したところ、受け入れてくれました。

これから様々な活動を通じて《ぼすとんばっぐ》を盛り上げていきたいと思っています。よろしくお願いします!