新しい物語のはじまり。ご相談いただいた方の”大切”を詰め込んで、人生というステキな旅に出会う。2016年にボストンバッグを立ち上げて、早8年…。たくさんのご縁や人生に恵まれました。ここでは、そんな経験の中から思い出のエピソードをいくつか記録したいと思います。どうぞ、楽しんでいってください。

 

メッセージイラスト

 

ある日、
近藤のもとにご相談者さまが訪れた。
 
お話を伺うと、こうした内容だった。
まず家系図はこう。
 
お父さん、お母さんは離婚していて、お父さんが他界。相続で引き継ぐ財産の中に土地があり、その売却を《どのような手続きをしたら良いのか?》というご相談だった。ご家族の不動産を相続するというケースは、どこにでもあるようなごく一般的な話であると、はじめは近藤もそう思った。
ところが、話には少し先があり思わぬ方へと展開していくのだった。実際に相続に関わる家系図はこうだった。
 
まずお父さんの姉にあたるおばさんがいて、さらに司法書士の調べにより新たに相続人が判明する。おじいちゃんには前の奥さん(前妻)がいて、その方が満州国出身(現在は中国)であること。そして、子(遠いおばさん)がいるということ。しかも、生まれた場所が以前の満州国と表記がされていたため、これ以上は戸籍情報が追えないというのである。
 
 
 
これは初めての経験だ。どうやったらいいんだろう。かつての満州国…。現地に行く必要があるのか!?現在でいえば、どのあたりなのか。まずは現状を把握しないとなーと独り言。
 
 
なにしろ、不動産を売却するにしても、相続人全員(白枠↓)の理解と捺印が必要である。
 
 
それをどのように説明して、どうまとめるか。その前に、どうやったら会えるのだろう…。そこでつまってしまった。とりあえず、手探りながらも人を頼りにあたっていくしかない。
 
…うーむ。
 
そう悩んでいたら、司法書士から電話が鳴った。どうやら現在、静岡県に在住であることがわかったらしい。
 
…おお!
朗報だった!さすがに、かつての満州となると、手がかりがみえなかったのだ。日本であれば、なんとかなる!しかも静岡県というところまでわかれば、ここからは人づてであたっていこう。こうして、無事に住んでいると思われるエリアに辿り着くことができた。
 
…が、しかし
 
たどり着いた矢先、ここでまたもうひとつ山があることを知る。お住まいの番地には3棟くらいアパートが立ち並んでいたのだ…。
 
 
登記上には、○○アパートの○棟の○号室という表記は出ておらず、番地しかない。手紙などを送ることもできず、これはもうここで待ちながら、それらしき人がいたら声をかけるという、もっとも原始的な方法でやるしかない。様子を伺いながらも、アパートに出入りする人たちに声をかけた。
 
「Mさん(仮名)は、ご存知ですか?」
「ちょっとわからないです」
 
よく考えたら、もし日本語がわからない場合はどうしたらいいのだろう?話しかけても理解ができないのではないか…。いろんな不安がでてくる。とはいえ、話しかけるしかない。そして、何人に声をかけただろうか。そうこうしているうちに、買い物の帰りと思われる女性が2人、向こうから歩いてくるのが見えた。
 
 
この時、
ひょっとしたら…!
と直感が働いた。
 
「Mさんは、ご存知ですか?」
 
と話しかけると、まさにご本人だった。Mさんは日本語がわからないご様子でしたが、一緒にいたもう一人の方が日本語を理解できる方だった。
 
よし!
 
事情を説明して、相続に関する許可や印鑑をいただきたい旨を伝えると、Mさんはよく理解できないとのことで、息子が三重県にいるので息子に聞いてほしいと言われる。
 
 
こうして三重県へ、Mさんの息子さんに会いにいく。事前に電話でお話していたので、スムーズに会うことができた。
 
Mさんの息子さん
 

相続の件で、Mさんの許可と印鑑をいただきたい旨を伝えると、息子さんからの理解も得られ、
 

 
その後、細かい権利に関する調整はありながらも、無事に一件落着となった。印鑑をもとめた旅が、まさかこういう展開を迎えるとは!不動産業に携わって初めての経験だった。なによりご相談者さまとそのご家族にとって、いい結果になって本当によかった。
 

 

初め「満州」と聞いた時の落胆から、静岡のとある番地まで辿り着いた時の『チャンスあり!』の思いは今でも覚えています。一筋の光を頼りにすぐさま車で向かっていました。
 
しかし今考えると、たまたま行った静岡の地で張り込みをしていたとは言え、ご本人様に会えた「偶然」。そして、ご本人様と「たまたま」一緒にいた日本語が話せるご友人の存在。そしてそして、言葉も通じない初めましての私に息子さんを繋いでいただき、三重県の息子さんにまで辿り着けたことは「奇跡的」に感じます。
 
何より、その後ご関係者さんで大きく揉めることなく、大切な資産のことを私にお任せいただけたこと。そして、当初のご相談者様のご要望に沿った「遺産分割」が成立したことは、私の中でも今後の仕事の励みとなり、強く思い出に残る案件でした。
 

近藤イメージ1
近藤芳史(yoshifumi kondo)代表

 
こんにちは!「近藤」と申します。元バンドマン(岡崎)。 もともとは家業を手伝って資源回収の仕事をしていました。ある日、家業をたたむ話になり、その時にやってきた、いかにもできそうな不動産会社の営業マンに色々言われたことがきっかけで、宅建の勉強をはじめ
近藤イメージ1
近藤芳史(yoshifumi kondo)代表

 
こんにちは!「近藤」と申します。元バンドマン(岡崎)。もともとは家業を手伝って資源回収の仕事をしていました。ある日、家業をたたむ話になり、その時にやってきた、いかにもできそうな不動産会社の営業マンに色々言われたことがきっかけで、宅建の勉強をはじめ